「 死 」の恐怖よりも後悔したくない。プロスキーヤー 佐藤 瞳
小さな頃の夢を大人になっても忘れず、追い求めている人はどれくらいいるのでしょう。かく言う筆者も、今思うと当時の夢とは全く違う人生を歩んでいるように思います。
そんな子供の頃の夢を今もなお、愚直に追い求めている女性が今回インタビューさせていただいた佐藤瞳さん。一見すると今どきの可愛らしい女性という印象で、危険を伴うエクストリームスポーツ、フリースタイルスキーのスロープスタイル国内トップ選手と聞いて正直驚きを隠せませんでした。
「福島から世界一を目指す」その大きな夢のためにチャレンジする佐藤さんの過去と今をお聞きしました。
佐藤 瞳
1988年生まれ、北海道旭川市出身のフリースタイルスキー・スロープスタイル選手。平成27年にはJOC強化指定選手に選ばれる。以下、戦績。
2012年3月 ワールドカップ(アメリカ・マンモスマウンテン):9位
2012年9月 コンチネンタル(アルゼンチン・ウシュアイア): 9位
2012年9月 ワールドカップ(アルゼンチン・ウシュアイア):17位
2013年3月 ワールドカップ(スペイン・シエラネバダ ):15位
2013年8月 ワールドカップ(ニュージーランド・カドロナ):14位
2013年8月 The North Face New Zealand Freeski Open:9位
2014年1月 ワールドカップ(スイス・グシュタード):18位
2015年2月 ワールドカップ(アメリカ・パークシティ): 17位
2016年2月 ワールドカップ(韓国・平昌):16位
2016年3月 Fisレース Swiss Freeski Open(スイス・クランスモンタナ) :6位
2016年12月 Fisレース Swiss Freeski Open(スイス・Glacier3000):8位
2017年3月 Fisレース Russian Cup(sunny valley ロシア):6位
2017年3月 ロシア選手権(sunny Valley ロシア):5位
ランキング13-14シーズンワールドカップポイント世界:31位
ランキング14-15シーズンワールドカップポイント世界:24位
ランキング15-16シーズンワールドカップポイント世界:32位
小学生時代の衝撃から世界一を目指す
―― 今日はよろしくお願いします。
よろしくお願いします!
―― 実は当初、あまり佐藤さんがやられているフリースタイルスキーのスロープスタイルという競技があんまりピンと来なかったんですよね。
そうですよね。
―― フリースタイルというと、スノボならイメージ出来たんですけど。色々と調べてみると、動画も結構あったんで見てみたんですけど、アクロバティックというか危険ですよね。
結構危険ですね。ワチャワチャやってる感じで。
※以下が実際の練習風景
―― 競技の発祥はアメリカやカナダなんですね。割と新しい競技で。
そうですね。国際スキー連盟主催としてワールドカップが始まったのが2011年だと思います。だから歴史は浅いですね。X GAMESS(エクストリームスポーツばかりを集めた世界大会)より下の位置づけの、例えばアメリカ国内のリーグ戦みたいな大会もあるんです。そういう大会はもっと以前からありました。
―― 競技を始めるきっかけって何だったんですか?
スキー自体は小さい頃からやっていたんですけど、小学校の頃テレビで競技を見て「これで世界一になりたいな」と思ったんです。その時に見た競技はモーグルだったんですけど、そこからどんどんニュースクールのスタイル(モーグルやエアリアルなど、以前からあった競技の枠に囚われないスキースタイルで、スロープスタイルもその枠組みに入る)にシフトしていったんです。
「あぁ!こういうスポーツもあるんだ!」と思って。モーグルやスロープスタイルにも同じようにエア(ジャンプ)もあるし、共通してる部分もあって「かっこいいな!」と思える部分もあったんです。
―― テレビでオリンピックを見て、急に「世界一になりたい!」と思ったんですか?
思ったんです(笑) そう思った瞬間を今でも覚えてるんですけど、何か見た瞬間言葉が出なかったというか……。純粋に「私もこれで世界一になりたい!」としか思わなかったです。
―― 友達にも話はしてたんですか?
それがですね、恥ずかしながら言ってたんですよ(笑) 当時クラス全員の夢みたいなものを書いた詩集みたいなものがあったんですけど、そこに書いてましたね。それに、自分がスキーでジャンプしてる絵をあちこちに落書きしたり、机に掘ったりしてました……。
―― 悪ガキじゃないですか(笑) その時から強い思いがあったんですね。
そうですね。テレビでオリンピックを見て感じた思いが忘れられなかったです。
―― 小学生の頃にそう思えてる事って凄いなぁ。
あれから18年も経ってますけどね。
―― その頃の想いを持って、ずっと今まで続けてきてるんですね。
「空気を読めない」だけかも知れないですけど(笑)
普通なら少しやれば現実に気付くじゃないですか。就職したり普通に生活したりという。私が競技を始めたのって18歳の時なんで、そこから世界を目指すって、普通に考えるとあまりにも無謀だと思うんです。みんなもっと若い頃から競技を始めてますからね。
―― 競技を始めた時期としては遅かったんですね。
競技に本格的に取り組み始めたのは遅い方だったと思います。
―― 世界一を目指し始めてから、ずっと練習を続けてきたんですか?
そうですね。スキーの技術や筋トレなんかは自分でやっていたんですけど、スロープスタイルの専門的な技術や、オフトレーニングでジャンプ練習をしたりといったきちんとした練習方法を始めたのは18歳になってからだったので、遅い方だったと思います。
―― スキーをやるといった時、親御さんは何と言ってたんですか?
「競技スキーをやりたい」と両親に話したんですけど「金かかるからやめろ」って言ってました(笑)
競技スキーって年間に数百万円単位のお金がかかるし、そこに時間も使うんで、「うちにはそんなお金も時間も無い」と言われました。だから高校生になってバイトして、初めて自分で競技用のスキー板を買いました。板にしても、1万円や2万円で買えるものでは無いので、結構お金はかかりますね。
―― 卒業してからもアルバイトをしながら続けてたんですよね。当時はどんなことしてたんですか?
ホテルでウェイトレスみたいな事をしてたり、工場で夜勤をやったりしてました。コールセンターもやってましたし、居酒屋で働いた事もありましたし。夜勤の仕事は、海外に行った時の時差に対応するためのトレーニングだと思ってやってましたね。夜勤から帰ってフラフラになりながら、家でトレーニングしてました。寝たらもったいないなと思いながら(笑)
―― 凄い。そのパワーの源も、小さい頃にオリンピックをテレビで見た影響なんですもんね。
はい。全てそこに繋がってますね。私のトレーナーが言うんです。「世界一になれば、経済的安定も社会的地位もついてくるようになる。とにかく世界一をめざせ」と。それを聞いて、ちょっとだけやましい気持ちにもなったりして(笑)
厳しい生活をしてでも海外を目指す理由
―― 日本人でプロの選手ってどのくらいいるんですか?
正確な数字は正直分からないですね。ただ、スキーに関して言うと、かなり少ないと思いますよ。選手同士で契約金の話をしたりはしないので、あまり分からないです。フリースタイルスキーだけで生活してる人って、自分の知ってる範囲では少ないですね。みんなスキー以外にバイトしたりしてます。
―― 佐藤さんも掛け持ちでバイトしながらスキーを続けてたんですよね?
そうですね。たまに厳しい生活もして。
―― 厳しい生活ですか?
スポンサーがない時代にアメリカへ行く時は、滞在期間マックスの90日を目一杯使って、トレーニングと大会も兼ねて行ったりするんですけど、その間ホテルって5日くらいしか取らないんですね。で、現地に着いたらすぐにゲレンデに行って友達作って、その友達の家に住まわせてもらったり、ルームシェアしたりしてました。
帰国間近のお金が厳しい時なんか、友達の家の玄関で寝かせてもらったり、空港の床で寝たりもしてました。そんな状況でも「トレーニング出来ればそれで良い。眠れればそれで良い。」と思ってましたね。
―― ストイックすぎる……。そういう価値観だと、カフェ巡りなんかしないってのも分かりますね。「そんなんで腹満たされるの?」みたいな。ところで、そもそもスロープスタイルの競技環境って、海外と比べて日本の環境はどうなんですか?
う~ん、恵まれてはいないと思います。例えばアメリカに行けば、シーズンの結構早い時期からコースが整備されているところがあるし。これが日本だと、コースが整うのが1月の後半だったりしますし。降雪機の台数なんかも全然違っていて、日本と比べてアメリカだと倍以上あったり。コースにかけるお金が、アメリカやヨーロッパと比べて日本は少ない気がします。
―― 海外に行く理由って、日本じゃ出来ない事があるからだったりするんですね。
そうですね。もちろん日本で出来る事もあるんですけど、新しい技の練習をしたり、応用練習をしたりする時に、日本では出来ない事がアメリカやヨーロッパでは出来たりしますね。
―― それだけ環境が違うんですね。
設備の部分でも違いますし、向こうに行くと、ワールドカップ出場クラスの選手がその辺で普通に練習していたりしてますよ。そういうスピリットの部分でエネルギーをもらえる感じもあります。
―― 常日頃からトレーニングは意識してるんですか?
今日もここまで歩いてきたんですけど、歩けばトレーニングになるじゃないですか。だから、ハムストリング(脚の後ろ側の筋肉の総称)を鍛える事を意識しながら歩いてました。結構楽しかったですよ(笑)
―― ハムストリングを気にしながら歩いてる女子ってなかなかいないと思いますよ(笑)
そうですよね(笑)
どんな時もエクササイズを心掛けてるというより、常に頭の中にありますね。でもそれってあまり良い事じゃ無いんです。私はガス抜きがとても下手くそで、やる時はやる、休む時は休む、という事があまり上手く出来なくて。オフの時もあれこれ考えちゃって、常に焦ってるような状況になってしまって。だからメンタルトレーニングなんかもしてますね。
―― オンオフの切り替えって難しいですよね。
どうすれば切り替えが出来るんですかね。
―― 僕も出来ないから分からない……。いつも仕事の事考えちゃう。
「全く違う事を考えるように、何か別の事をすれば良いじゃない」とよく言われるんですけど、全く意味が分からないんです。だから「私はスキーの技をマスターした時にしか幸せを感じる事が出来ない」という不幸な人間だなと思います。そういう人間って一生幸せを感じる事が出来ないってテレビで言ってました(笑)。
―― テレビを真に受けすぎ(笑)
以前イタリア人のコーチが付いた事があったんです。イタリア人の国民性って陽気というイメージがあると思うんですけど、そのコーチも本当に陽気な感じで、何をしても楽しそうなんですよ。それで、そのコーチによく言われていたのが「お前は考え過ぎだ。余計な事は考えずにとにかくやれ」という事だったんです。
―― 「考えるな、かんじろ!」みたいな感じですか。
まさにそんな感じです。
―― ちなみに、そういうコーチ料はけっこう高いんですか?
そうですね。コーチについてもらうのも、1日2万とかのレッスン料に加えて旅費もありますし。
―― そんなに費用がかかるんですか。
それ以外にも年間の活動費だけでも、切りつめても1年で600万円くらいはかかってしまうし、そこに加えてコーチとなると、1000万円以上かかってしまう感じです。日本でずっと活動しているなら、そんなにはかからないんですけど。
―― なるほど。さっきの「厳しい生活もして……」といってましたもんね。
そうですね。ただ、原点を思い出すために、今でも空港の冷たい床で寝て過ごしたりはします。今でこそスポンサーもついて滞在費も出してもらえるようになったけど、「スポンサーがついたりする事はとてもありがたい事なんだ」「最初はここから始めたんだ」という事を思い出すために、わざとそんな風に過ごしてみたりもします。
初めはそういうモノが一切ない中で切りつめてやっていたわけで、そういう時代を忘れたくないんです。ついついそういう大事なモノを忘れてしまったりしますし。
―― そういう考えに至ったきっかけって何かあったんですか?「あ、ヤバい!私、ちょっと天狗になってるわ!」みたいに思った事とか。
う~ん、凄く細かい話なんですけど、例えばスーパーで納豆を買う時に、以前は1パック40円くらいのタレ無しの納豆を買ってたのに、今はタレ付の1パック100円の品物を買ってたりしてる時に、「あ、私うぬぼれてるな」と思う事はあります。
―― むしろ僕は、栄養のある納豆を食べて欲しいなと思います(笑)
良い豆は良いタンパク源になりますからね(笑)
でも、私はそんなに強くないから、人を勇気づけたいなと思うんですけど、それって自分も強くないとならないから、メンタル面でも強くなりたいなとは思います。
「 死 」と隣り合わせの恐怖
―― ところで競技中ってどういう視点なんだろうって事も気になります。始めた頃は怖くなかったんですか?
いや、怖かったです。今でも怖いですよ。選手が事故で亡くなるケースもあるので、一歩間違えたらと思うと……。
―― 以前、怪我をして肩を手術したんですよね。
そのときの怪我は命の危険がある怪我では無かったんですけど、以前危ない事があって、その時は「あなたちょっと間違えたら死んでましたよ」と言われました。その時の事を思い出したり考えたりすると今でも怖いです。
―― スポーツとはいえ、生きるか死ぬかの瀬戸際の競技ですね。
そういうスポーツなので、練習とかは疎かにできないと思いますね。ベースの練習はみんなすごくやってます。「イケてるスポーツ」ってそれだけ危険度もありますからね。
軽い感じのノリでやってるようなイメージがあるかも知れませんけど、その裏でみんな実はメチャメチャ練習してますよ。あの人たちがそうして練習してる様子を目の当たりにしてますから。
―― さっき、オンとオフの切り替えが上手く出来ないという話をしてましたけど、「練習を怠ったら死」というイメージもあるからですか?
そうですね。「もう死ぬかも」と思った事は何度もありますよ。本番前日や前々日に公式トレーニングってのがあって、実際のコースを滑れるんですけど、メチャメチャ怖いんです。
―― その段階でそんなに怖いんじゃ、本番までの時間って長く感じませんか?
正直そう感じる事もありますね。本当に不安要素がたくさんある中、それを1個ずつ1個ずつ消していくっていう作業をしていくんです。実際に滑ってみたり、近くでコースを見たりしたら、攻略法が見えてきたりという事もあるので、公式トレーニングからどれだけ平常心でいられるか、冷静に物事を見られるかっていう事が重要かなと思います。
―― スタート前はどういう心理状況なんですか?
「やってやるぞ」という風には思わないようにしています。
「自分は最善を尽くすので、皆さん見ていて下さい」という感覚ですね。
―― イメージでは、「アドレナリンがめちゃくちゃ出て」という感じなんですけど、違うんですね。逆に冷静な状態というか。
例えば肩で息するほど興奮した状態だと、良いパフォーマンスは間違いなくでないですし、その調節が難しいんじゃないかなと思いますね。「本当にメンタルのスポーツなんだな」って。
技術の向上も、「これをやればあれが出来るようになって、その次はこれをやって」みたいにエスカレーター式にすぐに上がっていくものでも無いですし、ちょっとずつ積み重ねていくもんですから。その積み重ねにもメンタルな部分は関わってきますし。
―― 「死」が近いという事を考えると、メンタルが大きく結果に作用してくるのでメンタルトレーニングも必要というのも分かりますね。
技術的に優れていれば「死」の危険も減るといえばそうかも知れないんですけど、実際のところは何があるか分からないじゃないですか。
自分としては最善を尽くしてトレーニングしていても至らない部分もあるんで。自分は常に死を意識しながらやってるというのが正直なところです。
―― なるほど。
でも、普通の生活をしていて「常に死ぬかも知れない」とはなかなか思わないですよね。だからある意味、私には良い薬なのかなとは思います。じゃ無ければ、色々な閃きも無いと思いますし、自分にとっては良い事だなと思いますね。
―― 危険なスポーツだと思うのですが家族は応援してくれますか?
頑張れとは言われないけど、応援してくれてるのかなという眼差しは向けてくれてます。所属チームに契約を切られた時、その事を母親に話したら、「調子に乗ってるからだ!」で終わりました(笑)
―― でも、応援してくれてるんですね。
そうですね、最初は反対されましたけど。父親は多くを語らない人で母親も「社会人とはこうあるべき」みたいなものが強い人なんです。だから高校を出て就職しない事にした時も「もう家に帰ってくるな!」みたいな感じで言われてました。
―― 「勘当だ!」みたいな感じですか。
そうですね。普通はみんな大学に行ったり企業に就職したりして真面目に働いてるのに、私はフリーターみたいな事をやっていて、普通なら28歳にもなれば、両親に車の一つもプレゼントしたりしてるんだろうなと思うと、何だか申し訳ないなって時々思うんです。
―― それは世界一になったら問題ないじゃないですか! 佐藤さんのストイックさって、両親からの影響もあるんですか?
それはあるかも知れないですね。両親はメチャメチャ厳しかったんで。
―― 落ち込んだ時も「励ます」じゃなくて「お前が悪いんだ」と叱るみたいなところからもそれは感じるかも。
殴られたりした事も普通にありましたし。落ち込んでると余計に反省させるみたいな。
―― それで素直に言う事聞いてたんですか?
ある時期から反発するようになっていきましたね。反抗期ってやつです。私がした最大の犯行は、家のガラス窓に石を投げる事でした。割れませんでしたけど(笑)
実を言うと家を出て20歳頃までは、両親の事は嫌いでしたね。でも、自分で生活をしてみて、自分で目指すものに向かってやっていく中で、両親のおかげで自分がこうしていられるんだと気付いたんです。そこで初めて「育ててくれてありがとう」という気持ちが芽生えたんで、もしかしたらスキーをやってなかったらそんな気持ちにならなかったのかも知れない。
スキーで色んな困難もあって回り道した事もあったんで、そんな経験をしながら両親のありがたみも凄く分かったんですよね。
―― 厳しさも実は優しさだったんでしょうね。それをスキーを通じて学んだのかも知れませんね。
そうですね。徹底して現実しかないので、上手く行かない時も、どんなに厳しくても這ってでも前に進むしかないので、上手く行かない時は何とかもがいてやってますけどね。
―― さっきの「うぬぼれないように」という考え方やそのストイックさも、両親の教えを受け継いでいるのかも知れませんね。
大元はそこにあるのかも知れません。
「スキー」 = 「生きること」
―― 率直に聞いちゃいますけど、死ぬかもしれないし厳しい生活までして何で競技を続けられるんですか?
その事がその時苦痛に思えたか思わなかったかは、正直覚えて無いです。それより私は「立ち止まる」事の方が怖いです。私たち「疲れたな」と思ったって、「あぁ人間やめよう」とは思わないじゃないですか。
―― 「スキー = 生きること」ってことですか?
そうそう。
―― スキーそのものがもう人生なんですね。
やっぱり人生なので、諦めるって事は無いですね。例えば「辛さ」や「痛み」があったとしても、それが先の自由に繋がっているとなれば、それは「辛さ」「や「痛み」では無くなる。
―― むしろ喜びなんですね。
そうですね。例えば、私は悪口を言われる事もあるんですけど、言われたその時は落ち込むけど、悪口を言われたらその分「良くなる」と自分では思っていて、「悪口言われてラッキー」と思うようになりました。私を応援してくれる人はもちろん、私をディスる人もみんな私のファンだなって(笑)
―― なるほど。将来的には「世界一」になりたいという話ですけど直近で言うとどこを目指すんですか?
直近ではやっぱり平昌オリンピックを目指します。来年ですね。平昌の直前までの成績で代表が選ばれるので、それに向けて頑張ります。
―― じゃあそれに向けて、これからもトレーニングしていくんですね。身近にオリンピック目指しますなんて言う人はいないから、頑張ってほしいですね。今回のインタビューで親近感を覚えましたし(笑)
何か自分でも楽しみになってきました(笑)
―― 僕は今日ここで話してる佐藤さんしか知らないから、オリンピックで活躍してる佐藤さんを見てみたいです。今日はありがとうございました!
佐藤瞳応援プロジェクト
今回のインタビュー内容でもお分かりのように、オリンピック出場や危険の伴うスポーツにも関わらず、佐藤さんの練習環境は決して十分とは言えません。そのため、佐藤さんが2018年に開催される韓国・平昌オリンピック出場、活躍を願う有志たちによって「佐藤瞳応援プロジェクト」が結成されました。
個人の方でも支援ができますので、ぜひ佐藤さんの夢でもある「福島から世界一」を応援してくださる方は以下よりご支援お願いいたします。
佐藤瞳さんの応援プロジェクトはこちら>>佐藤瞳応援Project