福島が生んだ偉人、野口英世の生涯を残した「野口英世記念館」
北に磐梯山、南に猪苗代湖が広がる自然豊かな猪苗代町。ここに福島県を代表する偉人・野口英世が誕生しました。細菌学者として日本はもとい、世界で様々な功績を残してきた彼は2004年から発行されている1000円札の人物としても有名ですよね。
そんな彼の出生の地、猪苗代町には彼の生涯を紹介している「野口英世記念館」があります。今年の4月1日にはリニューアルオープンを迎えた館内で日本で最初の試みとなる「細菌」をテーマとした展示コーナーや、野口英世が研究した細菌についての基礎知識を紹介しています。
また、隣接する生家は当時と同じ場所に現在も残されており、野口英世が幼少の頃に火傷を負った囲炉裏や上京の際床柱に刻んだ決意文も当時のまま残されています。
そのままの姿が残る野口英世の生家
福島県のほぼ中央に位置する耶麻郡猪苗代町三城潟、当時の三ツ和村に清作(以下英世)が生まれました。彼が上京する19年間を過ごした家が当時のまま保存されています。当時、英世が床柱に刻んだ決意「志を得ざれば再び此地を踏まず」の一文は必ず見ておくべきです!
1歳半の頃、いろりに落ちて左手に大火傷を負ったことがきっかけで医学の道を志すようになった英世。その後手術はしましたが完治することはありませんでした。しかし、彼にとって医学の素晴らしさを知り、後の人生を大きく変える出来事となりました。
野口英世の生涯がここに「野口英世記念館」
今年の4月1日にはリニューアルオープンを迎えた野口英世館。日本で最初の試みとなる「細菌」をテーマとした展示コーナーや、英世が研究した細菌についての基礎知識など、その生涯を時代ごとわけ多くの写真と資料で展示しています。
生涯支えた母・シカの愛情
母・シカの手紙を猪苗代の風景とともに情緒豊かに紹介しています。英世の火傷はシカにとって一生の悔いとなりました。家も貧しく、新しい教科書も買うこともできませんでしたが、息子のために尽くす母の愛情を手紙から感じ取ることが出来ます。以下は、シカが野口英世に宛てた手紙の引用。
「母シカより英世に宛てた手紙」
お前の出世にはみんな驚きました。私も喜んでおります。
中田の観音様に毎年、夜篭りをいたしました。
勉強をいくらしてもきりがありません。
鳥帽子という村からのお金の催促には困ってしまいます。
お前が戻ってきたら申し訳ができましょう。
春になるとみんな北海道に行ってしまいます。
私も心細くなります。
どうか早く帰ってきて下さい。
お金を送ってもらったことは誰にも聞かせません。
それを聞かせると、みんな呑まれてしまいます。
早く帰って来て下さい。
早く帰って来て下さい。
早く帰って来て下さい。
早く帰って来て下さい。一生の頼みであります。
西に向いては拝み、東に向いては拝んでおります。
北に向いては拝んでおります。
南に向いては拝んでおります。
ついたちには塩断ちをしております。
栄昌様についたちには、拝んでもらってます。
何を忘れてもこれは忘れません。
写真を見ると拝んでいます。
早く帰って来て下さい。
いつ帰れるか教えて下さい。
この返事を待っています。寝ても眠れません。
引用:http://www.imfine.cc/shika.htm
息子に会いたいという強い気持ちから書かれた手紙。学問も無かったシカは字を書く事が出来ませんでしたが、囲炉裏の灰に指で字を書く練習をしながらこの手紙を書いたと言われています。
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