会津の奥地で270年前から受け継がれる“村人だけ”で運営する舞台「檜枝岐歌舞伎」
行ってきました、檜枝岐村(ひのえまたむら)。冬は豪雪地帯として知られる奥会津地方の中でも、最奥と言ってよい場所にあります。
▲村の入口には、2017年の立村百年を記念して建立された門があります▲
尾瀬国立公園の福島側の玄関口ですからハイカーの皆さんには有名かもしれませんが、そのあまりの「秘境感」ゆえ、同じ福島県民でも訪れたことがある人は少ないでしょう。なにしろ、筆者が住む県庁所在地・福島市から片道3時間以上。どの高速ICからも2時間以上かかります。現在の村の人口は577人(2018年4月現在)。
▲中土合展望台から見た檜枝岐村の全景▲
そんな山あいの小さな村に一晩で1200人が集まるというイベント、それが檜枝岐歌舞伎です。
すべて村人たちが伝承してきた農村歌舞伎
檜枝岐歌舞伎は、役者から裏方まですべて村民だけで行われる地芝居で、270年の歴史があるのだそう。1999年に福島県の重要無形民俗文化財に指定されています。
舞台は、村の中心にある鎮守の神さまの境内。階段上の社と向かい合うように建てられた「檜枝岐舞台」(国指定重要有形民俗文化財)を石段の座席が囲んでいる様子は、なんだかローマのコロッセオのようです。
この舞台で歌舞伎が演じられるのは、わずか年に3回(5月12日、8月18日、9月第1土曜)しかありません。今回筆者は、8月の奉納歌舞伎を拝見しました。たまたま今年は土曜日だったこともあるでしょうか、18時の開場と同時に続々と人が集まり始めます。
開場入口では、ウレタンの座布団を貸してくれました。たしかに石段にそのまま座るのは少々お尻が冷えますから、これはとてもうれしい心遣い!標高950メートルの夜は、夏でも気温10度台前半になります。防寒具はもちろん、荷物に余裕があれば「マイ座布団」持参をオススメします。
筆者が到着したとき、桟敷席はもう一杯。石段も9割がた埋まっていました。報道陣のカメラの上方に陣取って見下ろすと、こんな感じ。
屋台も出ているので、ここでご飯を食べながら開演を待つ人も多いみたいです。そのうち夕空は赤く染まりはじめ、境内の明かりが灯り、幻想的な雰囲気に・・・
19時になって、幕が開きました。まず、上演の際には必ず演じられるという「寿式三番叟(ことぶきしきさんばそう)」。五穀豊穣を祈る儀式で、未成年によって踊られる決まりだそうです。
▲高校1年生が踊る三番叟▲
続いていよいよ歌舞伎です。檜枝岐歌舞伎を担う「千葉之家花駒座」のレパートリーは11ほどあるそうで、その中から通常は1演目のところ、この日は特別に2演目!「南山義民の碑 喜四郎子別れの段」と「一之谷嫩軍記 須磨浦の段」が上演されました。
▲檜枝岐の歌舞伎の女性は、女形だけでなく女性も演じます▲
といっても筆者のようにまったく歌舞伎に詳しくない人は、事前にパンフレットを読んであらすじを追っておくのが賢明でしょう。作品には、浄瑠璃から来た「時代物」だけでなく、昭和に入ってから作られた「新作」もあるんですね。
ここで詳しくストーリーはご紹介しませんが、やはりお芝居のテーマは「人情」です。「喜四郎子別れの段」では、タイトル通り親子の別離が描かれますが、登場する母・息子・その息子を演じたのはなんと!本物の親子3世代だそうです。村民に受け継がれてきた地芝居ならではのことで、中には7代にわたって伝承している家もあるとか。
▲喜四郎子別れの段を演じているのは本物の親子▲
奥会津に唯一残る地芝居「檜枝岐歌舞伎」は、ぜひ現地で!
筆者は恥ずかしながら、本物の歌舞伎役者さんの歌舞伎を見たことはありませんが、この檜枝岐歌舞伎は村民が演じるということで、どこかに「素人のお芝居」という先入観があったかもしれません。正直なところ、一幕だけ見れば十分かなとも思っていたのです。
ところが、始まってみれば3時間はあっという間。最後のほうは、写真を撮るのも忘れて見入ってしまいました。2幕目に入るころは気温14度と冷えてきたにもかかわらず、周りを見ても途中で席を立つ人はほとんどいませんでした。
▲一番右は弱冠30歳の太夫、室井一仁さん。生の義太夫は2011年に復活したそう▲
パンフレットによると、江戸時代後期、幕府直轄だった奥会津地方一帯には数多くの農村舞台と歌舞伎一座があって、こうした地芝居(農村歌舞伎)が盛んだったそうです。「他に娯楽もなく村民唯一の慰安として伝承されてきた」ものの、時代とともにその数は減少。現存する歌舞伎舞台はこの地方にわずか4つ、上演を続ける一座はここ檜枝岐の「千葉之家花駒座」だけになってしまいました。
▲江戸時代、奥会津地方にあった多くの歌舞伎舞台と一座を示す地図(伝承館内)▲
現在の「花駒座」の座員は裏方を含めて30名ほど。みなさん本業の傍らなので、練習は閑散期の冬季だけだそう。にもかかわらず、そのお芝居はもちろん、衣装といい道具といい素晴らしいもので、これを見るために県内外からこれだけの人が集まる理由がわかります。
実は一座は村外にもしばしば招待され、ホールなどで上演するとのことですから、わざわざ檜枝岐まで行かなくても花駒座の芝居を見る機会はあります。しかし、檜枝岐歌舞伎の良さは、あの神気に満ちた鎮守神境内で鑑賞してこそ。ぜひ檜枝岐を訪れて、村人が守り通してきた技をご覧いただきたいと思います。
歌舞伎の晩は、ぜひ村内に宿泊を
さて、歌舞伎が終わるころはすっかり夜も更けています。当日中に帰るという観光客もいたようですが、ここはぜひ村内に一泊をオススメ。筆者は神社の隣にある「ますや旅館」に宿をとってあったので、すぐに冷えた身体を温泉で温めることができました。
そして、宿の楽しみは食にあり。「山人(やもーど)料理」とも呼ばれる檜枝岐の郷土食は、基本的に蕎麦と山菜とイワナが主役です。
夕食ではもちろん、イワナの炭火焼きが供されます。友人は頭からかぶりつき、後には串だけが残っていました(笑)。そしてお造りもイワナです。生のイワナは初めて食べましたが、川魚特有の臭みが全くなくて驚き!
お酒のお供にはニシンの山椒漬け。煮物になったフキは7月まで採れるそうです。村の特産である舞茸は、9月になれば天然ものが食べられるとか。
もちろん蕎麦も出てきます。ツナギをまったく使わない十割蕎麦は、折らずに布のように重ねて裁つことから「裁ちそば」と呼ばれます。上の写真は2日目の晩、裁ちそばに代わって出していただいた「揚げ蕎麦がき」。こちらも絶品です。
朝ご飯でも山菜やキノコがたっぷりです。2日目の朝は、シシダケと舞茸の炊き込みご飯でした。筆者はシシダケ初めてでしたが、とってもいい香り!調べたら別名を香茸というとか。煮物のウドも香りが強く、土のエネルギーを感じました。
そして上の写真が出来たての「はっとう」。そば粉ともち粉をこねて成型したものを茹で、じゅうねん(エゴマ)と塩と砂糖で味付けたものです。その昔、檜枝岐に来た役人が、あまりのおいしさに村民が食べることを禁じた(ご法度)という名前の由来も頷けます。
冬の積雪3メートルにもなる厳寒のこの地では、お米が作れません。宿のご主人によると、昔、白いコメは正月と病気のときしか食べられないものだった、といいます。地の物にこだわったお食事は一見カラフルでもゴージャスでもないけれど、採れるもの・作れるものが限られるからこそ、その恵みを十二分に引き出した料理は本当に滋味深く、贅沢な味がしました。
▲おみやげもイワナと舞茸づくしで!▲
まとめ
いかがでしたか?檜枝岐村の舞台で歌舞伎が上演されるのは年に3回。貴重な機会を逃さないよう、しっかりプランを立ててくださいね。また、その前後はぜひ檜枝岐温泉の宿を堪能しましょう。
- 5月12日 愛宕神祭礼奉納歌舞伎(無料)
- 8月18日 鎮守神祭礼奉納歌舞伎(無料)
- 9月第一土曜日 「歌舞伎の夕べ」(観覧料1,000円。ただし村内宿泊者は無料)
なお、2018年の「歌舞伎の夕べ」は9月1日(土)の開催です。詳細は下記、尾瀬檜枝岐温泉観光協会のページをご覧ください。
さて、後編は、檜枝岐まで来たならぜひ足を延ばしたい「尾瀬国立公園」をご紹介します。お楽しみに!
尾瀬檜枝岐温泉観光協会0241-75-2432
ますや旅館080-3025-1486